【ダークソウル考察】五行思想で考察する、グウィンは本当に太陽の王だったのか?説~6~
"王"の称号がグウィンを薪にした
グウィンが木行の雷の神であり、火を得るには自らを薪にするしか方法が無かったとしても、薪となる理由としてイマイチ弱いという点は認めざるを得ない。
なにせ<火継ぎ>で薪になった者の末路は、火による永劫の苦しみで
あることが、ダークソウル3で判明している。
薪は燃え尽きるまで薪であって、その苦痛から解放されるには、火の無い炭にでもなるしかない。
だがグウィンは太陽の光の王であり、火の時代においては神々の頂点に立つ支配者である。
燃料となる薪など、いくらでも用意できたはずだ。
それでも尚、彼は自ら薪となる道を選んだ。
ここで先述した残りのキーワード“恐怖”がカギになる。グウィンを薪にしたのは皮肉にも、”太陽の光の王”という称号だったのだと筆者は考える。
目もくらむほど輝かしいそれこそが、世界の覇者グウィンをどん底の
恐怖に突き落とすものだったとは誰が思うであろう。
それではいよいよ、大王グウィンがはじまりの火の炉に、
その身を焼べた真相について考察してみよう。
グウィンは薪(燃料)となることで秘密を守ろうとした
やがて火が陰り、火の時代に終わりが見え始めた。ここに来てグウィンが困り果てたのは言うまでもない。
彼は雷の神であって太陽の神ではないのだから、
火を生み出すことはできない。
なにせ自身を太陽の神と称して、世界の支配者に収まったのは他でもないグウィンである。
愚かで素直な人間たちに、雷の光を太陽の光だと滑稽な騙りをしてまで。
転じて己を太陽の王を称しているグウィンが、ここで火を生み出すこと
ができなければ、これまでの嘘が全て明るみに出てしまう。
ダークソウル世界の成り立ちが五行思想に沿っているのであれば、木が火を得るには燃料になるしかない。それが世界の理である。
ここで、究極の選択が迫られる。自らを燃やすか。火の時代を終わらせるか。
このままでは火が陰り、火の時代が終わる。グウィンは怖れた。
だがここで押さえておきたいのは、古竜との戦いを経てやっと迎えた
火の時代が終わるとか、後裔の神々の行く末を案じたとか、そんな美談な理由で怖れを抱いたのではない、という点である。
木が火を生み出すには燃料になるしかない。まさにこれこそ、グウィンが<火継ぎ>を導入した理由であった。
~次回に続く~
※ダークソウルの解釈はこれが正解というものがなく、どう解釈するかは個人の自由です。あくまで一つの考察としてお楽しみください。