ソウル照覧

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【ダークソウル考察】五行思想で考察する、グウィンは本当に太陽の王だったのか?説~9~

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闇の王となる結末を選んだ場合の考察

ダークソウルでは主人公の選択によって、

火継ぎをするか・闇の王になるか、いずれかの結末が描かれる。

 

闇の王ルートでは火を継がないという選択をするので、そちらの場合は以下のテキストのような理由で、グウィンや騎士たちが襲い掛かってきた、とも解釈できる。

 

灼けたロイエスの大剣のテキストより

灼けたロイエスの騎士の大剣

その刀身は火で焼け焦げている

 

彼らにかつての意思はなく

炎を乱そうとする者を駆逐するだけである

たとえそれがかつての友であったとしても

 

 闇の王であることを選択する場合は、はっきりと神々と敵対することになるので、むしろこちらの方が襲われる理由としては普通に頷ける。

 

どちらにしても、闘いは避けられないということだろう。

 

こうして雷神グウィンは、太陽の光の王として世界を偽ったために、

薪として自ら火に焼かれながら火の時代を継続するハメになった。

 

そしてなぜ火の時代を継続するのに、

火継ぎを繰り返さなければならないのか、という疑問も一気に氷解するのである。

 

<火継ぎ>ある限りグウィンの呪いは生き続ける

全ては始まりの火を絶やさないようにするためのシステムを創造したのが、雷(木)の神であり、それが薪となって火を熾したからであった。

 

ためにグウィン以降、真実を知らぬ者たち又は真実をひた隠す者たちによって、火の時代を絶やさぬための薪が選ばれ続けてきたのである。

 

ダークソウル1のラスボス戦におけるグウィンが、<薪の王>と名打たれているのもこのためだと思われる。

 

世界を呪った<火継ぎ>のはじまり、最初の薪、ゆえに<薪の王>という、すべての皮肉が込められた名前である。

 

己のエゴで太陽の光の王であることを貫き通し、復活をも目論んだ

雷の神は、はじまりの火の炉で薪のまま最期を迎えたのである。

 

皮肉にも彼が後生大事にしていた”王の称号”が、彼自身を火に焼かれる薪にした。

 

ずばり薪の王とは"太陽の光の王"という欺瞞を剥がされた、

グウィンの本当の姿を示す名だったのだ。

 

「見栄っ張りの嘘つきで、最後は自分を火の中に放り込んだ」

(ダークソウル2:シャラゴアのセリフより)

 

「かつて光の王となった者は、人という名の闇を封じ込め…

 そして人は仮初の姿を得た
 それこそが、この世の理のはじまり」

(ダークソウル2:アン・ディールのセリフより)

 

そして世界は父なる太陽の光の王にして、

英雄グウィンの名を語り継ぎ、火が陰るたびに薪を焼べつづけるのである。

 

火継ぎの終わりが訪れる、その時まで。

 

~了~

 

※ダークソウルの解釈はこれが正解というものがなく、どう解釈するかは個人の自由です。あくまで一つの考察としてお楽しみください。