ソウル照覧

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【ダークソウル考察】墓王ニトは最初の<死者>にして<不死の英雄>だったかもしれない説~16~

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 人の亡者化は「死せる運命からの解放」による影響だった?

ダークリングが現れたことによって、人は亡者に変ずるようになった。

 

筆者が述べたようにダークリングが現れたのは火の陰りが原因ではなく、ニトが人に<神の枷>を課すことをやめたのが原因であるのならば、人が亡者になるのもまたニトが自分で「役目を終えた」からであると言える。

 

しかしニトが枷を嵌めるのをやめたのにも関わらず、ダークソウル開始時点においても、全ての人々がニトのように「完全な不死」に至ったというわけでは無いようである。

 

さらに言えば人が亡者になることにより、世界は大混乱に陥っており、ダークリングが体に現れた者は不死院送りにされる始末である。

 

亡者になると体は死ななくてもミイラのような様相になり、その精神はどんどん正気を失っていき、最終的には生きながらにして自我さえ失ってしまう。

 

果たしてこれがかつての神代にいた「人」の本来の姿だと言うのであろうか。

 

これがニトの「役目を終えた」結果であるとするならば、ニトは一体何を思って、人々を死から解放したのだろうか……。

 

人の亡者化はニトの想定内だった?

これらのような疑問について、筆者の描く結論はこうだ。

すなわち、ニトによって枷を外された人間たちは、本来の不死なる存在に戻っている途中なのではあるまいか。

 

まず人間の椎骨に仕込まれた<神の枷>の存在意義は、端的に言うと

「人間の本来の能力を封じ、寿命を与えること」である。この枷を嵌められている限り、火の時代の人間は「短い寿命しか生きられない存在」に成り下がる。

 

<神の枷>を嵌めていたのがニトであり、人間に寿命があることを望むのであれば、何があろうと、それこそ火が陰りを見せようと

ニトは「寿命を発生させる仕掛け」を仕込み続ける必要があるだろう。

 

だがニトは自らそれを放棄している。つまりこの時点でニトは「人間が不死になること」を阻むつもりは無いのだと解釈できる。

 

そして改めてニトが「自分で役目を終えた」と考えると、<神の枷>による拘束が緩まればどうなるか、むしろニトは知っていた可能性が高いのではないか。

 

ここでまた、人が亡者になっていく仮定を見てみよう。

 

  1. ダークリングが体に現れる
  2. 体がミイラのようになっても死ななくなる
  3. 記憶が薄れていき、自我も薄くなっていく
  4. 自我が消え、動きが停止するか、暴走して他者に襲い掛かる

 

人はこのようにして亡者となっていくわけだが、この課程を見ているとあることに気付く。

 

それは亡者になっても殺されない限り「死ぬ」という着地点が、どこにも見出せなくなっているという点である。

 

ダークソウル世界ではすでに自我を失くした亡者が蠢いているが、亡者である彼らを指して「死んでいる」と断定するテキストや説明は無い。

 

フィールドで見かける亡者と非常に区別が付きにくい遺体であっても、丁寧にアイテムテキストで「遺体」と明記されている(捨てられた遺体のソウルなど)。

 

ダークソウルにおいて「亡者」と「遺体」は明らかに別存在として区別されている。

 

これらの情報は本当に地味であるが筆者はこう考える。すなわち亡者とは「死なぬ者」であり、遺体は「死せる者」として存在しているのである。

 

考えてみれば同じ人間から「死なぬ者」と「死せる者」に区別されるのは妙である。

 

この現象を起こしているのはダークリングなのだろう。だがそれに加えて、「人の亡者化現象」こそが、ニトの「死せる運命からの解放」による副産物だったと考察することもできるのではないか?

 

~次回に続く~

 

※ダークソウルの解釈はこれが正解というものがなく、どう解釈するかは個人の自由です。あくまで一つの考察としてお楽しみください。