【ダークソウル考察】天使の正体はサリヴァーンだったかもしれない説~01~
<天使>はダークソウル3で初登場した存在である。まず本編でテキストによる天使信仰への言及があり、その後リリースされたDLCにおいて、その姿がお披露目となった。
DLCにおける天使は、人に似た形の躰に羽が付いた、我々の世界でも馴染み深い「天使」に似た姿をしている。
とはいえ、天使についてわかっていることは極少ない。ロスリックから端を発した天使信仰は、結局のところどういった信仰であったのか、その詳しい概要については杳として知れない
また信仰の源流と思われる聖女ゲルトルードが見えた<天使>という存在が、DLCで遭遇する天使だったのかさえも判然としない。
さらに言えばフィールドに漂う、あれらの<天使>なる存在が何者だったのかさえわからない。
テキストによれば、天使信仰の発端となったのは、そのものずばり<天使>という存在である。
天使の光柱のテキストより
「天使の娘」ゲルトルードの奇跡
周囲に幾つもの光の柱を落とす
王妃の聖女であったゲルトルードは
彼女のいう天使に見え、その物語を知ったという
彼女は光と声を失い、だが物語を記し続けた
常人には理解できぬ、破綻した書付の由が
ロスリック天使信仰の源流となったのだ
であればこれらの謎を解くには、やはりゲルトルードが見えたという、<天使>が何者だったのかを突き止める必要があるだろう。
聖女の見えた<天使>の正体とは何だったのか……本稿ではこれを考察すると共に、これまで謎だった天使信仰の外縁に迫っていきたいと思う。
聖女ゲルトルートに見えた<天使>こそがサリヴァーンだった?
天使信仰とはロスリック王国の聖女ゲルトルードから興った宗教である。
さて、この考察は<天使>の正体に迫ろうとするものだが、はじめにその中心となる人物を挙げておきたい。
その人物とは法王サリヴァーンである。ダークソウル3における<天使>の正体は、未だ明かされないままだが、筆者はこのサリヴァーンこそが天使信仰の元となった<天使>だったのではないかと考える。
つまりは聖女ゲルトルートが見えた<天使>こそが、サリヴァーンだったというわけだ。
考察を始める前にこう言ってはナンだがこの<天使>とやら、考察するにはとても難儀な存在である。
シリーズ最終作となるダークソウル3で初登場したために、いきなり湧いて出てきた新要素に戸惑った灰諸兄姉も多かったことだろう。筆者もそのクチである。
天使についてより詳しく知る頼みの綱はDLCだったのだが、しかしDLCでは天使信仰とは何だったのか、結局詳しいことは語られずに終わった。
そんな中で<天使>の正体がサリヴァーンだったという根拠は、一体どこにあるというのか。
サリヴァーンが<天使>であったという根拠として筆者が見出したのが、一神教に連なる伝承である。
一神教には世界最大規模の宗派もあれば、使用される用語や伝承される信仰対象は同じでも、宗派によって様式や教義が異なる場合が多々ある。
さらに一神教からの迫害から身を守るためか、(一神教から見て)異端となる信仰が、一神教に融合し教義を被せる形で存続したケースもある。
よって一神教といっても、中身は非常に複雑極まりない内容となっているのであるが、それらの中に<天使>とサリヴァーンを結びつける論拠となりそうな情報を、いくつか見出すことができたのである。
それらの点々とした情報を線で繋いでいくと、<天使>の正体、そして
ロスリックに何が起こっていたのか、朧気ながらもその影が徐々に浮かび上がってきたのである。
事態はまた複雑な様相を帯びているが、<天使>に至るまでのか細い糸を1つ1つたぐっていくこととしよう。
メルキゼデクから見るサリヴァーンとの共通点と天使信仰の興り
次にサリヴァーンと<天使>が結びつくと思われる論拠は、カバラの成り立ちである。
いきなりカバラと言っても、あまり馴染みが無い読者も多いと思うのだが、カバラというのはユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想であり、西洋魔術に最も影響与えているとされる思想・理論体系である。
ゲームや小説などの創作物における題材として引っ張りだこの
「生命樹(セフィロト)」は、宇宙の象徴図でありこのカバラから来ている。
カバラに馴染みがなくても、セフィロトならば聞いたことのある読者も多いのではないだろうか(少なくともこのブログに来る読者は)。
現代日本では創作の題材として用いられるほか、カバラ数秘術のように占術に応用されているパターンがポピュラーである。
この他にも西洋魔術だけでなく、密教や陰陽道にも通じるとされているが、話が逸れるのでそれらの情報に関しては割愛する。興味があれば調べてみてほしい。
実はこのカバラの知識は、天使からもたらされたものだという伝説がある。
~次回に続く~
※ダークソウルの解釈はこれが正解というものがなく、どう解釈するかは個人の自由です。あくまで一つの考察としてお楽しみください。