【ダークソウル考察】墓王ニトは最初の<死者>にして<不死の英雄>だったかもしれない説~11~
死の神ニトによって人間は不死ではなくなった?
さて、残るはなぜ神代では不死だった人間が、火の時代では不死で無くなっているのかの謎だが、その謎を解く鍵を握っているのは、ずばりニトである。
より具体的に言うならば人間から不死を無くすよう依頼したのがグウィンで、それを請け負ったのがニトという図式である。
まずグウィンとニトの両者が繋がっていたと考える根拠は、
闇撫でのカアスが語る<神の枷>という文言と、
ダークソウル3に登場するアイテム<枷の椎骨>である。
闇撫でのカアスのセリフより(ダークソウル1)
貴公…貴公が望むのならば、我が力をも授けよう
闇の王の力、生命喰いの力だ
その力で、不死として人であり続け
貴公ら人にはめられた、神の枷をはずすがよい
枷の椎骨のテキストより(ダークソウル3)
「積む者」の誓約にある者が
他世界の者たちを殺し、見出す特別な骨
それは椎骨にひとつだけ見られるもので
積む者たちはそれを、神の枷と考えている
闇撫でのカアスはフラムトとそっくりな外見をした世界蛇だが、
その思想は神と反するものばかりであり、人が本来の姿に戻ることを望んでいる。
闇撫でのカアスのセリフより
(グウィンは)人の間から生まれるであろう、
闇の王を恐れ世界の理を恐れた
だから奴は、火を継ぎ、自らの息子たちに、人を率い、縛らせた
貴公ら人が、すべて忘れ、呆け、闇の王が生まれぬように
カアスの証言からは、火の時代の人間は神によって、<神の枷>を嵌められ、真実を封印されている状態であることがわかる。
神代の人間は不死であったが火の時代の人間は「神から枷を嵌められたことで」不死でなくなった、とするならばその原因は、火の時代を興したグウィンである可能性が高いだろう。
しかしグウィンは太陽の光の神(筆者の考察では自称)であり、本編中も死に干渉する力を持っていたという描写はされていない。
死に関する権能を持っている神とすれば、該当するのは墓王ニトである。
神の枷はニトの手による人骨への細工だった
グウィンが人間の不死性を失くすよう依頼し、ニトがそれを実行したという見解を示した根拠として<神の枷>を挙げたが、人間に嵌められた<神の枷>とは具体的になんなのか。
これについてはACID BAKERY氏が詳しく考察されている。氏曰く<神の枷>とは「枷の椎骨」であったのだと。
全くACID BAKERY氏の卓見には毎回驚かされる。こうして氏の鋭い考察眼によって長らく不明だった<神の枷>の姿がはっきりと示されたのだった。
また氏は人間の骨に細工し、不死の力を封じていたであろうことも述べている。
これらの説には筆者も賛同している。根拠としてはニトは<骨>と密接に関連している描写が多いからだ。
たとえばニトが鎮まる巨人墓場や、道中の地下墓地には
墓王の眷属であろうエネミーが多数徘徊しているが、
眷属の多くはスケルトンなどの<骨>である。
さらにニトとの誓約で得られる<墓王の剣>というニトお手製の武器は、骨をベースに作られている。
骨だけで動ける眷属を生み出せることをはじめ、ニトが誓約でわざわざハンドメイドした骨ベースの武器を与えてくれる描写も、
<骨に細工できる>ことを暗に示しているようにも見える。
こうして見ると、<神の枷>という言葉もまさしく、そのまま死の神ニトによる枷という意味だったということがわかる。
人間に枷を嵌めるため、グウィンはニトと取引をした?
ニトが人間の不死性を封じる実行犯だったとしても、問題は動機である。
湧き出るように生まれてくる人間の不死性を、いちいち封じる作業を
数百年間も行う動機が、ニトには特に見当たらない(あくまで現時点での話だが)。
動機ならばグウィンの方が大いにあると言えるだろう。
カアスやシャラゴアの証言しかり、そして筆者もまた、グウィンは己の既得権を存分に発揮できた火の時代に対して、凄まじい執着を持っていたと考えている。
ゆえに筆者は人間に<神の枷>を課す作業を行ったのはニトだとしても、その力を必要としていたのはグウィンの方だったと見ているわけである。
おそらくは不死を封じる代わりに、死んだ人間から得られる
人間性やソウルは、全てニトのものにできるという協定を結んでいたのではないだろうか。
この協定によってグウィンは人間の本来の力を封印でき、ニトは人間性を独占できるというわけである。
だが何故グウィンはそれほどまでに、人間の不死性を封じたがっていたのだろうか。
誰も知らぬ小人が闇のソウルを手に入れたのだとしても、
輝く王のソウルから力を得た神々からすれば、人間がいくら死んで蘇ってこようが、大した問題ではないように思える。
一体何がグウィンをそこまでの行動に走らせたというのだろうか。
~次回に続く~
※ダークソウルの解釈はこれが正解というものがなく、どう解釈するかは個人の自由です。あくまで一つの考察としてお楽しみください。